コラム 1+1⁼2は証明できないが、「死にたい」⁼「ダメだよ」の解は万能でないことを証明する

皆さんは

1+1の解は2と考えずに答えるでしょう。

しかし、

「なぜ?」と問われるとはっきりとした答えや照明できる人はほとんどいない。


それと同じく

「死にたい」と友人が言ったらほとんどの人は

「ダメだよ」といった意味の答えを言う。

しかし、

「なぜ?」と問われると、

「悲しむ人がいる」とかそんなことだ

どうせ時期死んで悲しむ人は出るのだから、

死んではいけない証明になっているとはあまり思えない。


そんな世の中にも考える人はいる。

1+1の答えがなぜ2であるのか、数学者が考える。


「死」に対しては

恐らく、精神障害・不安障害の人が必死に考える。

なぜなら精神障害・不安障害の人は必ずこの難題にぶつかるからだ。


辛い状況になると、

キツさについで、

「あぁ~、これが50年続くにか。。。」

という将来の不安。

そして「死」を考える。


その瞬間に、

家族への思い、

過去の嬉しい思い出や、

将来の良いことを想像する。


そこで「明日も頑張ろう」

と思う。


それにプラスして、

現代社会の「世間の死んではではならないという圧力」を考える。



数式にすると

(今日1日良かったこと+過去の嬉しかったこと+将来への期待)+(今日一日悪かったこと+将来への不安)+-世間の死んではならないという圧力

であると思う。


そして、この数式は

時時刻刻と変化する。


左辺の()の中はすべて正であり、

右辺の()の中はすべて負である。


値にはすべて個人差がある。

同じ出来事でも

人によっては、+1でもあれば

+5の人もいる。


そして、

世間の死んではならない圧力

がタイトルの

「死にたい」=「ダメだよ」

の部分である。

この解によって

「そうだよね」とプラスに捉える人もいれば、

「しんどい」ととらえる人もいる。


逆に

「死にたい」=「それもありかもね」

この解によって救われる人もいる

「肩の荷が下りた」「開き直った」とプラスに捉える。

しかし、「必要ない存在なんだ」とマイナスに捉える人もいる。


だから、人それぞれなのだ。


先程の

(今日1日良かったこと+過去の嬉しかったこと+将来への期待)+(今日一日悪かったこと+将来への不安)+-世間の死んではならないという圧力


この式の解の基準ば0であり、

プラスになればなるほど何も思わず明日も生きるだろう。

しかし、マイナスになればなるほど、

生きることがつらくなるだろう。

そして、

自分の限界値よりマイナスが大きくなった場合

「死」を選ぶ。


(例)

(給料日+いい青春の思い出+将来、結婚)+(電車での体調不良+将来ずーっとこの状況が続き、どこにも行けなくなる)+-世間の死んではならないという圧力


(2+5+3)+(-5+(-10))-2=-7

自分の限界値 -10


この場合、

生きることがつらい状況ではないかと思う。

精神障害・不安障害の人は、

このように考えていると私は思っている。



ちなみに、

私は、皆にとって良い人であったのだろうか。


その答えは、

心の中で答えてほしい。


以上。




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